対戦ゲームっていいよな

対戦ゲーム、麻雀の攻略。それらの上達に役立つ知識の共有がしたい。

人を嫌いにならないプレイスタイル認知法

一般的に真面目と言われる格闘ゲームへの向き合い方を言語化するのであれば、最大期待値を取るための選択肢を取り続けることで、その構築に必要な知識・操作精度を磨き続けることというのがしっくりくるように思える。

が、ここで難しいのがそもそも最大期待値とは何かということになる。

例えば体力で大幅リードしている時に相手の表裏択の起き攻めを受けると仮定する。

ここで4ガードを選んで崩されたら端に追い詰められ、次の起き攻めの打撃択で倒されるから、6ガードを選択するという思考が存在する。

もし崩されても中央起き攻め+打撃で死なない読み合いで仕切り直せるからだ。

この手の選択肢を取り続けるプレイヤーは、立ち回りから取れるダメージや局面ごとの勝率を高めるギミックをたくさん身につけていることが多い。

一方で、ここでは6ガードを入れることがセオリーで相手もそれがわかっているだろうと4ガードや無敵技(6ガードで死なない読み合いなのにガードに読み負けたら死ぬ無敵技を打つ必要は期待値上薄い)を打つプレイヤーもいるだろう。

ここで重要なのは単に読み合い一つを切り取った勝敗ではなく、一見期待値の悪いこの選択肢が相手にどういった影響を与え、別の局面でそれらを活かせるかどうかになる。

 

これらの思考は使い分けは出来たとしても、両立させることは不可能に近い。

だからこそ、精度が高く尖った部分を切り取とられ、個性や「プレイスタイル」と評されることが多い。

 

前置きが長くなったが、ここで書いておきたいのは表題の通り、プレイスタイルというものをどう捉えるかであり、その優越ではない。

具体的な内容に入っていく。

 

まず前提として抑えておきたいのが、すべての局面に100点満点は存在しないということ。

コンボ判断はこの限りではないのだが、前書きを読んでいただければ絶対的な満点が存在しないということはわかるだろう。

 

しかしたびたび、(最近はめっきり減って悲しいが)、プレイスタイルの違いによる選択肢の取り方による衝突がTwitterなどで見られることがあった。

絶対的な正解は無いのになぜ?と思うかもしれないが、人間には自分が属している集団の価値を高く見積りすぎる「内集団バイアス」や、自分が時間をかけてきたものや知識を高く評価しすぎる「所有物の拡大化」といった心理現象が存在する。

ピンと来ない人もいるかもしれないが、プレイヤーとしての資質が高い人は自分のプレイスタイルと近しい人(つまり自分の向き合い方)を高くする傾向にある、と言われれば分かりやすいかと思う。

これは当然といえば当然なのだが、絶対的な100点が存在しないゲームでこれに偏るのは効率が悪い。

肝に銘じておきたいのは、スタイルというのはあくまで、得意分野を伸ばし、対戦の中で自分の得意分野の局面が出現する頻度を高める工夫をし、当然得意なのでミスが少なくなることにその価値がある。

ここから駆け引きが進み複雑化したとしても、スキル面でのアドバンテージがあるのでさらに精度高く得意な局面へと派生させていくことができる。

あくまでプレイスタイルの価値はここにあるのであって、

「あいつのあの選択肢は効率悪いよ」だとか、

「あいついつもここで賢くまとまりすぎだよ」とか、

「あいつの武器あれだけじゃん」とかを言うためではない。

 

まとめ

人は自分と似た思考や、自分がかけた時間や労力を高く評価する傾向にある。

それによって自分のプレイスタイルに似たプレイヤーを高く評価し、違うプレイヤーを低く評価する。

これは自分が正解だと思っている、つまり最大期待値に近い行動を選ぶ人を評価し、それから遠い行動を選ぶ人を低く評価しているということなので当然と言えば当然なのであるが、対戦ゲームに絶対的な正解は存在しない。

プレイスタイル、つまり方針が定まっているやり込みの価値は得意分野を伸ばし、対戦の中で自分の得意分野の局面が出現する頻度を高める工夫をし、ミスを少なくするところにある。

これを客観的に認識し、自分とは違った期待値の拾い方をしている強者から学びとれるようになれれば更なる上達に繋がるだろう。